宮田登「怖さはどこからくるのか」

怖さはどこからくるのか (ちくまプリマーブックス (55))
あとがきより

(前略)民俗学の分野が多岐にわたっているので、焦点が分散してしまう恐れがある。全体を総花的に解説するよりも、目下私自身で考えられる範囲でとりわけ関心のもっているトピックを中心にまとめるという内容になった。

全然話がとびまくると思ったら、こういうことだったのか。
「怖さはどこからくるのか」といったタイトルは、正直な話、失敗であるように感じる。この本全体の内容を捉えきれていないのだ。素直に「民俗学雑論」(雑論は失礼かなあ)とかにすりゃわかりやすかっただろうに、都市論から民俗学のなりたちまでざっと押さえてあるので、のっけから「怖さはどこからくるんだろう」と考えながら読むと混乱すること請け合い。
内容は多岐に渡り面白い。西洋の「聖と俗」は対立する概念だが、日本の「ハレとケ」は相互補填の関係にあるとか。一見対立するように見えるが、ハレとケガレは深層部分で共存しているとか。ケガはケガレの略語だとか。人の一生にはくりかえして休む(やすむ→やむ→気(ケ)の流れが止む→病む)リズムがあり、それが厄年にあたるとか。口裂け女の妖怪譚は岐阜県下呂温泉付近が発端で、タクシーの運転手(世渡り師)などによって全国に伝播されたとか。挙げだしたら切りがないのだけれど。やはり「河原」や「橋」、「路地」や「三叉路」などの異地点間を渡る通路の近くではちょっとワケアリなことが起こるのかもしれないっすね。といった感じで、興味のある人には面白いけれど無い人にとっちゃまったく退屈。そんな感じの本でした。