シェイクスピア「真夏の夜の夢」

真夏の夜の夢 (Newton CLASSICS Illustrated)
これは面白かった!本当に喜劇喜劇してる。登場人物の語り口も滑らかで、平家物語を読んでいるよう。三神勲の訳も的を射ている。そしてタイトルのネーミングセンスが秀逸。短編だから読みやすいし、うーん古本であったら買おうかなあ。

恋は目で見ず、心で見るのだわ。だからキューピッドの絵も、翼があって盲目になっている。恋の神さまの心には少しも分別がない、翼があって眼がないのはせっかちでむってっぽうなしるし。だから恋の神さまは子供だといわれてる、しょっちゅう相手を間違えてばかりいるんですもの。

そういえばキューピッドって子供だよね。でも盲目だったっけか?というのは素朴な疑問。

だが、そのキューピッドの矢の落ちた場所をおれは見ていた。矢は西の国の小さな草花に当たって、それまでは純白だった花が恋の矢傷で朱に染まってしまった。それで娘たちはあれを「恋のきちがいすみれ」(三色すみれ)と呼んでいる。あの花をとってきてくれ、いつか教えておいた花だ。あの花の汁を眠っている人のまぶたにつけると、男でも、女でも、眼をあけたとたんに見えた生き物に夢中になって惚れてしまう。

真心が二つもあって、殺し合ったらたいへんよ!(中略)立てた誓いが二つでは、なにも誓わないのと同じこと。

狂人、恋人、それから詩人のたぐいは、みな空想で頭がいっぱいになっているからな。

単純で正直な心で演じてくれるものなら、どんなものにせよ、不都合はあるまい。

真夜中の鐘が十二時を打った。恋人たち、おやすみなさい。もうそろそろ妖精の出る時刻だ。

しかし月(lunar)は狂気(lunacy)や狂人(lunatic)と同根語で、「月光に打たれる」(moonstruck)は「気の狂った」という意味である。月の光を長く浴びると気が変になるとも信じられていたらしい。月は妖精とともにこの狂った森の世界の象徴である。