庄司薫「白鳥の歌なんか聞こえない」

 

白鳥の歌なんか聞こえない (中公文庫)

白鳥の歌なんか聞こえない (中公文庫)

 死について見つめだした10~20代の男女の群像劇。
 あれこれ理屈をこねまわす主人公に最初はいらいらしながら読んでたけど、個人的にあれこれ頭で考えてしまう部分もあるのであまり主人公のことを悪くは言えない。というか確かに高校卒業したての頃の色々考えてしまう脳みそっていう感じ。若い。
 主人公の友達や幼馴染みの女の子もあれこれ考えていて、なんだか友達の話を聞いているような気分で読めます。
 これまで「純粋=すぐ行動にうつす」だと思っていたけれど、「純粋=あれこれ考えてしまって動けない」という部分もあるなあと思い返しました。

 前作の「赤頭巾ちゃん気をつけて」では主人公の内面の苛立ちに焦点が当たっていたけれど、今作ではもっと外側に視点がうつった感じ。

彼らがカッコいいのは、彼らが実際にどういうなりふりをしたかではないということ、つまり彼らがそうなったのは言うなれば必然的な結果というか、彼らがその力を使いつくすためのほんとうに大事なことを別にしっかりと手いっぱいに抱えていたことによる、という点にあるのは言うまでもないわけだ。

なにかに心を動かすたびに用心深く警戒するような感じがいつの間にか身に付いてきてしまうのではあるまいか。

なにしろこの世の中ってのは、どうやらケチつけたり皮肉ったりからかったりしていれば、なんとなくカッコよく颯爽と見えるようにできているのだから。

「それでおれってのは、自分についてもそうだけれど、他人を眺めてもすぐ、そいつはどう死ぬのかなって思うたちなんだよ。それに、そうやって眺めると、どんな気に入らんやつでもおこる気はしなくなるし、いろいろしのぎやすいからね・・・・・・。」

これはまあ、ぼくも含めて男ってのは女の子がそばに来るとなんとなく張り切って頑張るようなミットモナイところがあるわけだが

あれこれと考えて心をつくすことよりも、まずこの腕でしっかり彼女をつかまえてしまうこと、すべてはそれからなのではあるまいか。

死にかけたおかげで愛されるくらいなら、いっそのこと象のようにこっそり姿を消して独りで死んでやる・・・。

「一言で言えば、馬鹿ほど純粋ってことになるみたいだけれど、実際問題として、世の中が複雑で分かりにくくなると、みんな結局は単純で野蛮なものの中に救いを求めたくもなるらしい。」

そしてぼくたちが死んでいくひとに対して、できるだけのやさしい心づかいをすることは確かにとても大切なことにちがいない。でもね、それにしても、あまり心を痛めすぎてはいけないのじゃないか?