村松恒平「ほどんどすべての人のための<神様学>入門」

ほとんどすべての人のための神様学入門

ほとんどすべての人のための神様学入門

 これは お も し ろ い ! 欲しい。
 なんか神様にインタビューするっていうチープな形式で話が進んでいくんだけど、なかなかに深淵。思考回路が刺激される感じ。最初は「新興宗教に悩んでる人のための本かな・・・」と思ったけど、全然違った。神について考えることが、これほどまでに深いとは。まあこれまで神様についてテキトーにしか考えたことがなかったてのもあるんだろうけど。

神様について間違った概念を持つくらいなら、何も持たないほうがいい。

 という序文から始まる。思想の押しつけが無いので読みやすい。「」内は作中に出てくる神の言葉。

「そう、そして、順番を待っても、早く行っても本質的に同じことだ、ということを知らないために、彼は先に行って足踏みすることになる」

「『悪銭身に付かず』で、人はその人に相応なものしか本当の意味で手に入れることができない。それが本質だ」

 神の力を借りても、基本的にいいことは無いらしい。裏技のツケがまわってくるそうだ。

「供養は生者のためのもので、死者のためにはならない」

 確かに供養ってその死を自分の中に落とし込むための儀式なのかも。

「殺される人にもあんまり恨んでいる余裕はない。化けて出たというケースは、たいてい殺したほうの良心の呵責が投影されているのだ」

 幽霊についての記述。確かにその霊の存在を確認できるのは自分の意識の中においてのみ、なんだろう。霊感がある人/ない人で分かれがちだけれども。霊感のある人には「違う!」って言われちゃうかもしれないけど・・・。

「心はどんどん変わる。じつはコロコロ変わるからココロという」

 なんだかお茶目です。

「赤ちゃんだって、自他の認識というのは同時に始まるのだよ。他者の存在を認識するから、自分という存在も認識するのだ」

 後半からは結構デカルトっぽい内容です。

「そして、純粋すぎる思想ほど、人間にとって危険な物はない」

 人間という存在は多機能であるから、純粋という概念とは相反するらしい。アメーバなんかは見た目単機能だから純粋なのかな。よくわからんけど。

「太陽は『太陽を信じない』という人がいても、その人に輝くことをやめないし、感謝を捧げる人がいても、その人にだけよけいに輝くわけでもない。また、太陽はある距離をもって輝いているから有用なのであって、太陽に近づきすぎれば、人間はその熱で蒸発してしまう。人間はいわば太陽を間接的にしか体験することができないのだ。これは神と人間との関係にとてもよく似ている。」

 この記述はとても興味深かった。太陽は昔から信仰の対象でもあるし、やっぱり意味合いにおいて神に近い存在なのかも。

「しかし、宗教をビジネスとしてみればやはり、大衆化したほうが大きな利益を生む」

 宗教をコーヒーショップに例えているのが面白い。1商品のみの提供よりも多様なニーズにこたえているほうが維持・拡大しやすいのだろう。

「戦いを終わらせたという意味では、広島に原爆を落としたことだって、アメリカ人は善だと思っているだろう」

 こう言い切るのはちょっと危険な気もするけれども。ただ、やっぱり「勝てば官軍」というのは真理なのかも。善悪という概念は非常に曖昧で、時代や状況によって左右されすぎる。

「幸福を求めようとすることは、同時に不幸を求めることでもある」

 友達と恋愛の話とかしてもよくこういう流れになったりしました。出会いは別れである、みたいな感じで。外部的要因に一喜一憂している状態はまだ自由な状態とは言えないから、幸福は求めるもの(外部依存)ではなく感じる(内在)ものなのかも。ううむ。後半がよくわからん。
 そして後半の章では宇宙の始まりや精神/物質の話が出てきます。ちょっと自分の語彙能力ではこのスゴさを表現できなさそうで、割愛。現在の物質がもともと精神で、現在の精神がもともと物質だとしたら・・・と考えると結構わくわくします。うーん、世の中ってやっぱりまだまだ面白いもんなんだなあ。