沢木耕太郎「深夜特急3」

深夜特急3?インド? (新潮文庫)

深夜特急3?インド? (新潮文庫)

 インド・ネパール編。差別・売春・疾病・物乞い・ハシシなどなど、何もかもオープンな状態な描写は、少なくとも十分に衝撃的・・・。日本での生活に退屈するってかなり贅沢なことなんだなあ。ただ、どっちの暮らしが本当に幸せかはよくわからないけれども。
 これまで作者に対して「なんか偉そう」とどこか冷めた目で見ていた*1けど、この3巻目における作者の苛立ち、寂しさ、死体置き場で受けた静かなショックなど、飾らない内面描写は素直に受け入れられました。

まだ七、八歳にしかならない少女が、僅か三ルピーの金で自分の体を売ろうとしている。しかし、彼女がそのような申し出をするからには、どこかに必ず買う男がいるのだろう。

便所で手が使えるようになった時、またひとつ自分が自由になれたような気がした。

少女たちがくれたのは、すべてピンだった。

このインドの地で、三本締めで送り出されるとは思ってもいなかったので、びっくりしたはずみにリキシャから落っこちそうになってしまった。見慣れない珍妙な別れの儀式にバザール中の人が笑い出し、リキシャの運ちゃんも吹き出し、大勢の笑い声が響く中をガヤに向かって走り出した。

アメリカやヨーロッパからのヒッピーにとって、カトマンズはモロッコマラケシュやインドのゴアと並ぶ三大聖地のひとつなのです。

ヒッピーたちが放っている饐えた臭いとは、長く旅をしていることからくる無責任さから生じます。彼はただ通過するだけです。

実は、僕がインドで初めて考えたのは、インドについては何も得られないんだ、ということだったんです。

怠惰とか倦怠の八十から九十パーセントは、肉体的に健康で披露が取り除ければ消えちゃうんじゃないか、ってね。

騙されることは、そんなにいけないことだろうかって。騙されてスッテンテンになったら、今度はこちらが騙せばいい。生きるか死ぬかの一歩手前まで、騙されていいんですよね。騙されまいとして頑張るなんて、もしかしたらつまらないことなのかもしれないと思う。

*1:旅人は詩人であるというが、素朴な詩人もいれば傲慢な詩人もいると思う